リンクしている方の日記を読んでいて、そうだよなー人生は、と思う。


昔を思い出すと、嫌なことばかりで嫌になる。
今でさえ嫌なことばっかりなのに、そうなのだから余計に嫌だ。
それは誰にでもあることで、決して不思議なことでも稀なことでもない。
また、よく思い出したりして落ち込んでいた気持ちがさらに下に押しつけられたりして、泪が出たりする。


そういうだめぽスパイラルの時は、ひたすら楽しいことを考えるようにしている。
ひたすらだ。
ひたすら過去にあった楽しいことを思い出して寝る。


そうするとすぐ寝られるようになる。
次の日、気持ちが軽い。
不思議だが軽い。
なんかいっちょやってやるか!という気持ちになる。
事態が好転していなくてもだ。



ぜひお試しを。

なんという失態

2006年10月10日 学校
なんという失態
今日は、ドラゴンズファンにとって一年で一番大事な日だというのに、PTAの役員会を入れてしもた。

ううぅっ。

優勝日なんてわかんねーよ!!

先週の月曜日に教頭と話し合って決めたのだが、中途半端に阪神が粘るものだから、12日の阪神戦で優勝決定だと見切ってしまった。
どうせ粘るなら最後まで粘れよ>阪神。

なんとか皆さんにご理解頂いて、9時前には帰宅出来るよう願っております。
役員のみなさま、ヨロシクね。
30年以上前はテレビの放送も不定期だった。
野球中継があっても読売戦しか放送しなかったのもあって、小学生の頃は読売ファンだった。
当時の多くの野球ファンの子供たちは、試合開始からラジオに噛り付くしかなかった。

昭和49年中学3年のとある夏の夕方、いつものようにラジオのスイッチをつけ野球中継を聞き始めた。
すると、試合開始前にギターだけの弾き語りでボソボソと歌う兄ちゃん(山本正之)の声が聞こえてきた。
なんか、頑張れとかドラゴンズ〜♪とか歌っている。

これはいかん、ギター少年でもあった店主は翌日読売ファンの連れとともに、「中日ドラゴンズの負ける唄」を作る。
いま思い返すに、歌にインパクトがありかなり良い出来だったのがショックだったのかも知れない。
その歌はそれ以降、番組が始まると試合前に必ず流れるようになった。
(本当にギターのみの伴奏で、元気がなく歌っていたので、マジしょぼかった)

巷間、同局の人気番組「ばつぐんジョッキー」に投稿されたのが初出と言われているが、店主はあくまでも野球中継説を取りたい。
その年中日が優勝し、長嶋が引退した。
板東英二の歌ったこの曲は40万枚を超えるヒットとなった。
地元での優勝パレードで、ファンと握手しすぎた選手達の手が腫れてしまい、日本シリーズが試合にならなかったのは、この年だったか?前回の時だったか?(笑

高校生の時に、長嶋監督解任騒動でアンチ読売になった。
初めて聞いた「燃えよドラゴンズ」は敵チームの唄だったけど、なんか心に残った。
こんなにファンに愛されている応援歌(球団歌ではない)は「六甲おろし」とこの曲くらいだろう。

優勝を喜び、みんなとこの歌をいっしょに歌う幸せをしみじみと感じている。
さらにもうひとつ上の頂きに上った時に、もう一度、いや何度でも歌いたいものだ。


う、いかん、書いているだけで涙腺が・・。


■落合があんなに泣くなんて驚いた。
よほど阪神の追い上げがキツかったのだろう。
しかし落合は名監督だな。

選手のみんなありがとう。
本当にありがとう。
今年こそ日本一を頼むよ。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索