瑞浪の事件といい、春に起こった中津川の女子中学生殺人といい、こういう事件で岐阜の名前が全国的に話題になること自体、悲しいことだ。

いじめは子供の中にだけあるのではない。
大人の世界にもある。
ウチのような田舎の小学校でも「当然」ある。
それに貧富の差、教師からの差別、親の虐待も複雑に関係してくる。
こうやれば良いとか、ああやればいじめは無くなる、などという簡単な問題ではない。



今日は、教師や保護者や地域が・・、という議論とは別に、子供たち自身について考えてみる。

学校というテリトリーの中で、どうやってみんなと折り合いをつけていくのか?
変な言い方になるかも知れないが、個人のセンスが問われる問題なのだと思う。
いい意味での「世渡り上手」になることも必要だ。

身も蓋もない言い方だし、それが出来ない子供が多いことも解っている。
でも、やっぱり最後は子供自身がそれをやっていかなければいけない。

誰も変わってやれないんだから。

コメント

マーロウ
マー老
2006年11月11日18:32

 一昔前にあったいじめ問題が再浮上ですね。なんせ報告によると「いじめ」は無かったんだから・・(^^;
 ありえへんわ。しかし詰まるところ自分は自分ですね。ただ子供時代は自分も周囲も未熟だから短絡的な行動に出てしまうのはどうしようもないのか・・?自分の命を絶つなら相手の咽喉ぶえを掻き切れ・・だけど。

三代目店主
丸信材木店店主
2006年11月11日20:14

子供は残酷ですからね。
ストレートに急所を突かれると、早く楽になりたいと思ってしまうのかも知れませんね。

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